原晋監督は、青山学院大学の駅伝部を優勝に導いてからの知名度が上がりましたよね。
今では、監督業だけでなく、大学の教授、コメンテーター、評論家、講演活動なと幅広く活躍していて成功しています。
原監督の経歴をまとめてみましたが、意外な経歴に驚きます。
さらに改めて原晋監督が、青山学院大学大学駅伝部の監督に就任してからの箱根駅伝での成績も振り返ってみましょう。
原晋監督の経歴
原晋監督の経歴をまとめてみました!
原晋監督は、広島県三原市出身、2024年現在58歳です。
- 中学1年生 陸上部に入部し陸上をスタート
- 中学3年生 県総体1500m競走では2位入賞
- 高校3年生 全国高等学校駅伝競走大会で総合2位(主将だった)
- 中京大学進学 3年時に日本インカレ5000メートル3位
- 1989年/22歳 中国電力に入社し、陸上競技部の創設に参加。主将として、全日本実業団駅伝への初出場にも貢献した。入社5年目の1995年に27歳の若さで選手生活を現役引退
- 1995年~2004年 サラリーマン生活
- 2004年 中国電力退職、青山学院大学駅伝部監督に就任
- 2015年 監督就任11年目 青山学院大学駅伝部が初の総合優勝
原晋監督は、中学生から陸上を始めています。
県での優勝経験もあり、長距離が得意だったのがわかります。
今では、箱根駅伝で優勝をもたらす監督ですが、青山学院大学のOBではなく、箱根駅伝での経験もなかったんですね。
サラリーマン時代のエピソード
原晋監督は、企業に就職して実業団として陸上を続けていましたが、現役生活は長くありませんでした。
サラリーマン生活を10年続けていました。
原晋監督は、「伝説の営業マン」と呼ばれるほどに成功していました。
中国電力の提案型営業マンとして再スタートをきった原監督。同期が本社で活躍するなか、配属されたのは支店の下にある山口県徳山市(現・周南市)の営業所。この職場で、蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内でいちばん売り上げました。社内でも目立つ存在になり、「伝説の営業マン」と呼ばれるように。
上司こそ学べ! 原晋監督はなぜ学生の心を掴むことができるのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
ビジネスの才能もあったのがわかります!
この営業マンでの経験が、今の監督業として重要な人を育てることや、組織を作っていくことの土台になっているそうです。
10年間のサラリーマン生活も、原晋監督にとって必要な経験だったのがわかります。
原晋監督の箱根駅伝での成績
原晋監督と言えば、箱根駅伝を思い出します。
- 2004年 青山学院大学駅伝部監督就任
- 2009年 33年ぶり箱根駅伝出場、22位
- 2010年 総合8位(シード権獲得)
- 2011年 総合9位(シード権獲得連続)
- 2012年 総合5位
- 2013年 総合8位
- 2014年 総合5位
- 2015年 1回目初の総合優勝(往路1位、復路1位)
- 2016年 2回目総合優勝(往路1位、復路1位)
- 2017年 3回目総合優勝(往路1位、復路1位)
- 2018年 4回目総合優勝(往路2位、復路1位)
- 2019年 総合2位
- 2020年 5回目総合優勝(往路1位、復路1位)
- 2021年 総合4位
- 2022年 6回目総合優勝(往路1位、復路1位)
- 2023年 総合3位
- 2024年 7回目総合優勝(往路1位、復路1位)
2024年の箱根のも総合優勝を果てしていて7回目でした。
しかし、原晋監督の経歴を見てもわかるように監督就任して11年目でやっと総合優勝できたんですね。
原晋監督が就任してから箱根駅伝での成績もまとめました。
箱根駅伝で優勝するチームを作り上げていくまでに時間がかかっています。
まとめ
原晋監督が、陸上や駅伝の経験だけでなく、サラリーマンとしても活躍していたという経歴には驚きましたね。
そして、結果だけをみると成功者のイメージが強いですが、強い駅伝チームにするために10年以上の時間もかけていたこともすごいですよね。
原晋監督が、講演会人気No1とも言われるのも納得です!
箱根駅伝での監督業にも期待しますが、まだまだ影響力を見せてくれそうです。